@kasumiiです。こんにちは。
2014年4月、犬と一緒に那須へ旅行にいったときの記録です。前回のブログ記事はこちら。
犬と那須旅行記 その4:那須ロープウェイにのって山頂駅から牛ヶ首山頂分岐まで登山してきた
ロープウェイのあとは、那須の有名な史跡である「殺生石」というところへ行ってきました。なんとも恐ろしい名前がついていますが、実際にここは昔から有毒ガスが発生する危険な場所だったようです。
駐車場で車を降りたとたんに立ちこめる硫黄臭。これが有毒ガスなのか……!?
駐車場から殺生石までは、木の道が続いていて犬も一緒に歩けるようになっています。
看板に書いてありましたが、「現在は、ガスの噴出量は少なくなっているものの、硫黄色を残した巨石群と噴気は、往時の雰囲気を漂わせています。」とのこと。
たしかにあまり草木が生えていなくて、荒涼とした雰囲気です。。。
殺生石の由来と九尾の狐伝説
看板に書かれていた内容によると、殺生石という名前の由来は、
周囲には火山特有の有毒ガスが噴出しており、近づいた小動物のほとんどが死んでしまうことからこの名がついた。九尾の狐伝説の残る名所。
近づいた小動物は死ぬって……うちの小動物(犬)は大丈夫なんだろうか。。
ちょっと不安になってしまいましたが、現在は有毒ガスもかなりおさまっているみたいだし、念のため以下のことを守っていれば心配なさそうです。
・柵の中には入らない
・長時間滞在しない
・風の弱い日は注意する
ついでに、九尾の狐の伝説について。
物語は今から約3,500年前。中国、インドを荒らしまわった九尾の狐は、やがて日本に渡って「玉藻の前」という美女に変身し、帝の寵愛を受けるようになりました。帝の命を奪い日本を我が物にしようとした玉藻の前でしたが、占い師の阿部泰成によって正体を見破られ、那須野ヶ原に逃げ込んだところを、当時の武将、上総介広常、三浦介義純によって討ち取られました。狐は死んで巨石となり、その怨念は毒気となって近づくものすべてを殺し続けました。
時は過ぎ、これを聞いた名僧源翁和尚がこの地を訪ね、持っていた杖で石を一喝すると、石は3つに割れ、1つは会津に、1つは備後へと飛んでいき、残った1つが殺生石だと伝えられています。
たくさんのお地蔵様が……
木の道を歩いていると、なにやら向こうに赤いものが点々と。
近づいてみると、赤い帽子をかぶったお地蔵様が手を合わせていました。千体地蔵というだけあって、ものすごい数です。
盲蛇石という名前の石もありました。
なにかこれも恐ろしい伝説があるのかと思ったら、昔、目の見えない大蛇を助けてあげたら湯の花のつくりかたを教えてもらえたそうな。いい話。
そしてこれが噂の殺生石。綱がかかっている大きな石です。手前には立入禁止の看板が。「硫化水素ガスが発生していますので、非常に危険ですから、柵の中には絶対に入らないでください。」
今でも稀に小動物が殺生石のまわりで死んでいることもあるそうなので、絶対に立ち入らないようにしましょう!
殺生石を見たあとは、ぐるっと那須温泉神社のほうをまわって駐車場へ戻ってきました。
殺生石と松尾芭蕉「奥の細道」
この殺生石へは、元禄2年(1689)に松尾芭蕉も訪れています。
殺生石は温泉(いずゆ)の出づゆ山陰にあり。石の毒気いまだ滅びず、蜂、蝶のたぐひ真砂(まさご)の色の見えぬほど重なり死す。
真砂の色、というのは地面の砂の色のこと。地面が見えないほど昆虫たちの死骸が山のようになっていたって……ヒイィィィ。
そして芭蕉はこの地で以下の一句をよんだそうです。
石の香や 夏草赤く 露あつく
殺生石のレンジャーとは
家に帰ってきてからググって知ったんですが、殺生石には謎のレンジャーが出現することがあるらしい。「殺生石 レンジャー」でググると目撃情報がたくさん出てきます。
なんでもそのレンジャーさんは、殺生石のまわりにキツネやカラスやウサギが死んでいるから回収に来てくれ、と無線で連絡しているけど、どこにも死体なんぞ見当たらないし、いつ行っても毎回毎回おなじことを言っているそうな。
特に何かの勧誘や押し売り的なことは一切なく、実際に小動物が毎回死んでいるのかどうかも謎のようで、もはや都市伝説みたいな感じになっているらしい。残念ながらわたしが行ったときはレンジャーさんいなかったなー。
さてさて、犬と那須旅行記、次回へ続きます!
犬と那須旅行記 その6:ホテルレジーナ那須の客室温泉付きデラックスコテージ with DOGS に宿泊してきた